どうも。しゅんすけです。
今回は、我が家の習慣について紹介です。
足るを知る暮らしを実践しているふたき草では、暮らしの中で意識していることがいくつかあります。
今日はその中で「靴をそろえる」という習慣について話していきます。
当たり前のことですが、その当たり前のことを当たり前に実践するということが、暮らしを豊かにしていくヒントだったりします。(^^)
というか、足るを知る暮らし自体、めちゃくちゃ新しいことや誰もやっていないようなことではないので、基本は「当たり前」の連続です。
では、どうぞご覧ください。(^^)
家族の約束
ではまず、我が家の習慣の話です。
先ほど、暮らしの中で意識していることがいくつかあると言いましたが、これらを「家族の約束」としてある程度まとめています。
まとめているって言ってもルールみたいに堅苦しい感じじゃなくて「イライラしたり、モヤモヤしたりした時に目を通すもの」みたいな扱いです。
夫婦や家族であっても、お互いの気持ちが100%わかるわけではないですし、相手がどんなことを大切にしているのか、家族として大事にしたいことはなんなのかってことをわかりやすくするために、こんなことをしているんです。
全部を大公開するのは、ちょっとあれですが、足るを知る暮らし実践のヒントになりそうなものは、これからもちょくちょく紹介していきます。どうぞお楽しみに。笑
靴をそろえる
はい。ということで、第1回目の習慣は「靴をそろえる」です。
そのまんまですね。家に帰ってきたとき、出先で靴を脱ぐとき、そんな時に、脱いだ靴をそろえて置くということを大切にしています。
この習慣は、妻が以前勤めていた職場のトイレに貼ってあった標語をぼくが覚えていて、大切にしているから始めたものです。
その標語は「トイレのスリッパをそろえておくと、心がそろう。他の人が乱したスリッパをそろえておくと、次に使う人の心もそろう。みんながスリッパをそろえておくと、世界中の人の心もそろう」。といったニュアンスのものでした。
良いなーと思ったのは、自分のことだけはなくて、そろったスリッパを見た、他の人の心もそろうってとこです。
次誰が使うかわかりませんが、確かに自分が使おうと思ったトイレのスリッパが乱れていたら、それだけで、入る前からため息が出ますよね。笑
まあ、そんな標語から、我が家では「靴をそろえる」ってことを大切にしています。
そして、そんな習慣は、家族の状態を推し量る指標にもなるんです。
どういうことかというと、家族の心が落ち着いていない時、イライラしてたり、忙しかったり・・・。
そんな時靴を確認すると、バラバラになっていることが多いです。
そんな靴を発見した時は「誰!?靴を乱したのは??」と声を荒げるのではなく、そっと直すことにしています。
きっと、靴の乱れに気がつかないほど心が落ち着かない状態だったから、そうなっているんだろうし、自分が少し手間をかけて直しておけば、それを使う人の心もそろうかもしれないからです。
そんな風に、日々の暮らしの中でちょっとだけ意識することで、心を整えることができます。
靴をそろえる。
そんな当たり前のことに目を向けてみるのも面白いかもしれません。(^^)
脚下照顧(きゃっかしょうこ)
禅の言葉に「脚下照顧(きゃっかしょうこ)」という言葉があります。
結構好きな言葉です。(^^)
意味は、自分の足元を見なさい。自分の足元も見えていない状態だと、自分自身が見えていないということです。
足元。それって靴をイメージできますね。
本当に些細なことですが、靴をそろえるって行為は、自分自身を顧みる時間でもあります。
どうしても、目まぐるしく変化する現代においては、自分の足元をまじまじと見つめる時間をもつことはなかなかできないかもしれません。
でも、ほんの少しの時間でいいので、「一度立ち止まって」みると、今まで見えてこなかったことが見えてくることがあります。
もしかしたら、それが自分が大切にしたいことかもしれませんし、目標を達成するための課題かもしれません。
そんな風に、自分自身の足元を見つめなおす時間も豊かですよ。(^^)
はい。ということで、禅語の話が入ると、急に真面目な感じになっちゃいますが、ご容赦ください。笑
ぼく個人の話ですが、「禅」の考え方が結構好きで。
足るを知る暮らしにおいても、かなり影響を受けていると思います。
今後も、ちょくちょくそんな話を挟んでいきますので、引き続きよろしくお願いいたします。m(__)m
では、今回は以上です。