節分から立春へ ~自然に沿った暮らし方~

自然・暮らし

どうも。しゅんすけです。
本日は立春です。
1年を24分割した時に、始まりの節となる「立春」。
春の始まりとされていますが、まだまだ寒さは厳しそうです。笑

そして、その立春の前日が節分です。(^^)
今年は2月3日でしたね。

恵方巻を食べたり、豆まきをしたりするのが一般的かと思いますが、我が家でも季節の変わり目を感じながら過ごしました。

そんな節分を通して、ふたき草で実践している自然に沿った暮らし方について紹介するので、ぜひご覧ください。

節分の過ごし方

ではまず、節分の過ごし方ですが・・・。
これと言って特別なことをするわけでもないので、紹介するのも恐縮です。笑

ふたき草では、子どもたちと一緒に恵方巻作りをしました。
具材は、その時あったものと娘の要望で、魚肉ソーセージ、卵焼き、手作りハム、ほうれん草のナムル、ごま、麩でした。

今年の恵方は東北東ということで、無言で(できるだけ)一本食べきりました。(^^)

「今年一年元気に楽しく過ごせますように・・・」

そして、お待ちかねの「豆まき!」と意気込んでいた夕食時。
なんと、娘が「眠たくなった」とのことでダウン。
そのまま寝てしまいました。笑

ということで、豆まきはせずに節分を過ごしてしまいました。
豆まきは、災いを鬼に見立て、その鬼を追い出すために行う行事です。

まあ、睡魔には勝てないので仕方ないってことにしましょう。笑
また、別の機会に災いを追い出したいと思います。。。

そんな感じで過ごした節分でしたが、節分の翌日が立春。
ふたき草では「自然に沿った暮らし方」をできる限り実践しているので、こういった季節の変わり目を大切にしています。

自然に沿った暮らし方とは


じゃあ、そもそも「自然に沿った暮らしってなに?」という話ですが、このことについて、詳しく話す機会もなかったので、この場を借りて、少しまとめておきますね。

自然に沿った暮らしとは、自然が作り出す循環を理解し、肌で感じながら、その時々に適した暮らし方をしていくってことです。

具体的には、
・年中行事を大切にして、季節の変わり目に関心を持つこと
・旬を大切にして、身土不二の考え方で身近なものを食べること
・できるだけ自然が作り出したものを取り入れること
・自然に触れて、自然の中で遊ぶ・暮すこと

こんなことを大切にしていくことです。

一般的には「自然派」とかっていう言葉で表現されるのかもしれませんが、ぼくはあんまりこの言葉は好きじゃないです。
自然派って聞くと、ちょっと「風変りな」イメージを持たれることも多いじゃないですか。
まあ、このブログを読んでくれている人は、ぼくと同じいわゆる「自然派」な人が多いかもしれませんが。笑

じゃあ、それ以外の人は「不自然派」とか「人工派」って呼ぶのかって言ったら、そんなことないじゃないですか。
なんか片一方に名前があるのって、異質感が出るので、どうかなーと思っています・・・。

まあまあ、話がそれましたが・・・。笑
戻しますね。

自然に沿って暮らすっていうのは、さっき説明したようなことなんですが、これが意外と理に適っているんですよ。
ぼくは、毎日の暮らしを楽しくしたいと思っています。
これに反対する人はいないと思います。

じゃあ、どうしたら楽しく暮らせるのかっていうと、やっぱり基本は「元気さ」だと思うんですね。
いわゆる健康であるってことです。

これは、単純に病気じゃないとか、不自由がないとかって話じゃなくて、肉体的、精神的、文化的に健康だって話です。
病気にかかっていても毎日楽しく過ごしている健康な人だっていますし、反対に、五体満足で病気もないのに、日々つまらなそうに生きている人もいる。

なので、自分自身が楽しめる暮らしをするための健康が欲しいと思っています。

そして、その健康を保つために必要なのが、この「自然に沿った暮らし」なわけです。

例えば、暑い夏に採れる野菜は体を冷やす作用があったり、そもそも旬の野菜は栄養価が一般的なものに比べて高かったり、季節に合わせた食べ物を食べるだけでも、体調管理に役立ちます。

本来、人間の体には自分の体調を自分で調整、回復させるための機能が備わっているんです。
そこに、不自然なものを取り入れたり、不自然な生活を繰り返したりしていると、自然治癒力がなくなっていきます。

ふたき草で実践している「自然に沿った暮らし」では、その自然治癒力を高めていきたいと思っています。

まあ、難しいことを考えても楽しくないんで、基本は無理せずに楽しく過ごせる方法を探しているだけなんですが。笑

不自然なものは何か

はい。ということで、「自然に沿った暮らし」の話でした。(^^)
もうすぐ、この暮らしを始めて1年がたちますが、現代の暮らしは不自然なことが多いよなーと改めて感じています。

で、その不自然なものの根っこにあるのは、「いつでも」「どこでも」っていう価値観だと思います。

旬じゃないけど、あれが食べたいっていう消費者の欲求に応える形で、不自然に管理されて、いつでも食べられる野菜や果物が生み出され。

ネットで検索すれば地球の裏側からだって、数日間でなんでも手に入る現代。

どうなのかなーと思っています。

旬のものは、その時に食べられるからありがたみがあるし、欲しいものだって、なんでも手に入る環境だと、本当に満たされることはないように感じます。

これからも、そんなことを考えながら、暮らしの最善を探していきたいと思います。
では、今回は以上です。(^^)

(しゅんすけ)