炊飯器のない暮らし

自然・暮らし

どうも。しゅんすけです。
突然ですが、あなたの家に炊飯器はありますか?「そりゃあるでしょ」って感じですかね?笑
炊飯器の普及率ってどのくらいなんでしょうか。
考えたこともなかったですが、お米を主食としている日本人にとっては必須アイテムであることは間違いありません。
我が家はおよそ2年前。炊飯器を手放しました。
28年くらい依存してきた炊飯器を手放した暮らしのリアルと、手放して感じたことを書きましたので、興味のある人はご覧ください。(^^)

土鍋でお米を炊く

では、まず我が家の炊飯事情です。
炊飯器がないからと言って、お米を食べていないわけではないですよ。笑
ブログでも度々ご紹介しているように、地元のお米農家(ヤマチョウさん)さんから無農薬のお米を買わせていただいて、ほぼ1日三食お米を食べています。

「じゃあ、何で炊いてるの?」って話ですが、「土鍋」です。

数年前に妻の希望で手に入れた長谷園の土鍋。
美味しくお米が炊けるとのことで3合炊きのものを長いこと使っています。

使い方はいたってシンプルで、研いだお米を土鍋に入れて、適当な量の水と一緒に火にかけるだけです。
炊き方において、炊飯器との違いがあるとすれば、スイッチが、炊飯器のボタンか、ガスコンロのボタンかくらいの違いでしょうか。笑

まあ、使い方はいいんですが、炊きあがったお米はやっぱり美味しい!
長年使っていると、舌が慣れてきて感動も薄れていきますが、たまーに意識して食べてみると「やっぱり違うな―」とか思ったりします。

炊飯器がないと起こる不都合

「じゃあ、美味しいお米を食べたくて炊飯器を手放したの?」って聞かれると、そうでもないんですよね。
それも理由の一つではありますが、大きな理由としては「必要性を感じなくなった」からです。

当時、環境問題への関心がピークに高まっていた頃。
いかに電気を使わずに、ゴミを出さずに、省エネで暮らすことができるか―――。みたいに鼻息荒く頑張っていた時期がありまして。(結局現在もガスを使っているわけですが・・・。)

その時期も悪くなかったんですが、そんな中、炊飯器の存在に疑問を抱くようになりました。
「炊飯器の存在意義ってなんだろう?」って感じです。

思ってから行動までのスピードが早いぼくは、早速炊飯器を手放し土鍋炊飯に移行していきました。(思い返せば、この時妻との軽いバトルが発生していたかも?炊飯器を手放す際は、家族への相談を忘れずに。笑)

で、炊飯器を手放した時に起こる不都合って何かある?と聞かれると「ほとんどない」と答えています。

炊飯器から土鍋に移行して変化したことと言えば

  • 毎日食べるお米が美味しくなった
  • 洗い物が若干増えた&大変になった(土鍋は重いので洗うのが大変)
  • お米の硬さを自分好みに調整できるようになった(おこげも作れる)
  • 炊飯器の予約機能が使えなくなった
  • お米に対する感謝の気持ちが高まった

こんなとこでしょうか。
つらつらと書いてしまったので、まとまりがないですがリアル感が伝われば幸いです。

まあ、予約機能が使えなくなるとか、手入れが大変になるなどのデメリットもありますが、それらを上回る美味しさがあるので問題なしです。そもそも予約機能は、なくても大丈夫でした。

なくして気づく大切なものもあれば、その反対もある

ということで、突然なくなった我が家の炊飯器ですが、正直今は全く必要性を感じていないです。

よく「大切なものはなくした時に気づく」みたいな言葉あるじゃないですか。

あれって、反対も言えることだよなーと思っています。

どういうことかと言うと、「なくしてみたら意外と必要じゃなかった」ってパターンです。必要って、必ず要るって書きますけど、暮らしの中で必ず要るものってそれほど多くないんじゃないかなって思っています。

必ず要るって思っていたけど、手放してみたら意外と生活できた。みたいなことはよくあることです。

今回のケースも、生活必需品と思っていた炊飯器を手放してみたら、意外と不都合がなかったので、そのままぼくたちの暮らしからフェードアウトしていきました。

何も「炊飯器を手放しましょう!」って言ってるわけじゃなくて「必要」と思っている物が実はそうでもなかったなんてこともあるので、今持っている物を見直してみても面白いかもという話でした。


はい。ということで、今回は炊飯器についてでした。
まあ、物を減らすかどうかは別として、土鍋で炊いたご飯はおすすめです。
毎日「今日はどんなお米が炊けたかな?」というワクワク感を味わえるので。(^^)

ではまた。

PS.
とはいえ、土鍋は炊くのに手間がかかるのも事実。時々火を止めるのを忘れて「おこげ」が「ただのコゲ」になることもあります―――。
そんなアクシデントも楽しみながら暮らすことも「足るを知る暮らし」でしょうか?笑

(しゅんすけ)