聞いてるようで、聞いてない大人の「どうしたい?」
「なにが食べたい?」
そう聞いておきながら、返ってきた答えに
「それはちょっと…」とか
「そればっかりはダメでしょ」と言ってしまう。
「何個食べる?」
そう聞いておいて
「それは食べすぎ」って止める。
これ、やってます。
たぶん、ほとんどの大人が。
聞いている“形”はしているけれど、
実はもう自分の中に正解がある。
その正解を、相手が当ててくれるのを
無意識に期待しているだけ。
子どもに限らず、大人同士でも同じことが起きている気がします。
自分で考えろと言われて、考えるのをやめた話
「自分で考えてみて」
そう言われて、考えて、持っていった案に
「うーん、そうじゃないんだよね」
と言われた経験、ありませんか?
何が違うのかも分からないまま否定されると、
次からはこうなります。
「もう聞いた方が早い」
「正解を持ってる人に任せた方が無駄がない」
思考力を育てたいと言いながら、
考えた結果を受け取らない。
「自分で考えろ」と言いつつ、
正解は一つしか認めない。
これって、ちょっと矛盾していますよね。
正解を探すのをやめて、正解をつくる関わりへ
正直、
この世の中に絶対の正解なんて、ほとんどないと思っています。
やってみなきゃ分からないことばかりだし、
結果も、人も、状況も、毎回違う。
1+1だって、
2じゃないかもしれない。
田んぼの「田」かもしれないし、
まったく別の答えが生まれるかもしれない。
正解を探すのは、正直しんどい。
でも、正解をつくるのは、ちょっと楽しい。
ふたき草では、
そんな関わりを大切にしていきたいと思っています。
父親としても、
「正解に導く人」より
「一緒に考える人」でいたい。
自分だけの正解を、
子どもと一緒につくっていく。
足るを知る子育てって、
たぶん、そういうことなのかもしれません。
ふたき草 しゅんすけ
