「自分だけが快適に暮らしたいのだろうか」

自然・暮らし

どうも、やよいです。

自然豊かな環境で暮らしていると、生き物がとても身近に感じます。

虫や動物、花も鳥も。

最近は、鳥のさえずりが特によく聞こえてきて。この間もカッコーカッコーと鳴いていて、枕元で「ホーホケキョ」を聞きながら目が覚めることも。

動物や虫たちの存在は人間にとって困ることもありますが、今の暮らしは「自然って人間だけのものじゃないんだよなぁ」という、普段は忘れがちな思考を思い出させてくれると感じています。

「自分だけが快適に暮らしたい」

それだけを求めるなら、いろんな薬を使えば一発で解決するかもしれません。しかし、その一発解決の裏側を考えたとき、不自然なもので自然を変えようとする「不自然さ」を感じてしまうのです。

虫が苦手な私は、今までその便利なものに助けられつつも葛藤してきました。

「自分が快適に暮らしたい」というのは誰もが当たり前に抱く感情ですが、まわりまわって結果的に(心、身体、環境が)快適でないような気もしています。

以前住んでいた家の中には、ムカデがたくさん出ました。殺虫剤はなるべく使いたくなかったのですが、噛まれるのが怖くてすごくストレスでした(実際、娘は0歳の時に噛まれています)。
蚊帳を買ったり、「これなら安心かな?」と思う対策グッズを試したり、凍結スプレーを常備したりして乗り切っていました。

今の家には、木に穴を開けて巣を作るクマンバチがいます。
攻撃性は少なく、今のところ害はなくて「気になる」くらい。
私が「あの穴を埋めたいな」と思って夫に相談したとき、夫から「不要だと思う殺生はしたくない」という考えを聞きました。その言葉に気持ちが揺れ、穴を埋めるのをやめました。

自分だけが快適に暮らしたいのだろうか?

共存しようと思えば、悩みは尽きません。
けれど、それによって気づくことが本当にたくさんあります。
葛藤があるからこそ、自分の選択や行動が変わっていくのだと思います。
人間も自然の一部。自然を身近に感じることは、「自然は人間のためだけにあるのではない」と実感することでもあります。

「多様性」という言葉は、きっと自然そのもの。色んな草木や花が咲き、生き物がいるフィールド。
そのものが多様な命で溢れています。

人間だけの都合で何かをしようとすることで、その自然な姿が壊れていってしまう。
植物がそこに生えてくるのは「必要だから」という視点や、それによって土のコンディションが分かったり、変わっていったりするという捉え方。
自然農の考え方にちょこっと触れたり、実践してみたりすることで、私には新鮮な気づきがありました。
そして、このことは「子育て」にも共通する部分が大きいと思います。

人間の都合で、見た目のよさや管理のしやすさを優先し、まっさらにしてしまった土には、後から栄養を足し続けなければならず。
「必要だからこれが起きている、生えている」という視点が欠けてしまいます。

子どものことも、「私が耕そう」「見栄え良く整えよう」としすぎているのかもしれません。

小さな我が子とずっと一緒にいる暮らしだからこそ、自分の思考の癖を見つめ続ける日々。
色んな葛藤や感情に揺れ、満点の行動ができなくても、その試行錯誤のプロセス自体に意味があると思いたい。
小さな想いや行動が、まずは自分自身を変えていくから。

一人では、すぐに解決できる便利な何かに頼りたくなるかもしれません。
つい子どもを「大人にとっての見栄えの良い姿」にさせたいと思ってしまうかもしれません。
でもそれでは、豊かな土(心)は育たないかも。

だからこそ、お互いの不完全さを認め合える仲間や、安心できる場所が必要なのだと思います。

多様な生き物がいる環境で、今を見守り、認めあえる場を育てていきたいと、改めて思います。

(やよい)