どうも、やよいです。
直接お話を聞いてみたいと思っていた工藤勇一さんが、初めて秋田で公開講演をされるということで、聞きに行ってきました。
いつも私の「行きたい」を尊重して、その間子どもたちと楽しく別の場所で待ってくれている夫には、感謝しかありません。
工藤さんは秋田のお隣、山形県のご出身。
千代田区立麹町中学校の元校長先生で、「宿題や定期テストの廃止」「クラス担任制の廃止」等、公立校の当たり前をやめる教育改革などで全国から注目を集めた教育者の方です。
本の出版やメディア出演などもされていますので、ご存じの方も多いかと思います。
お話を聞いて感じたことや、講演会をきっかけに起きた変化を、ブログとnoteに書き残しました。
ぜひ、ご覧ください。
※やよいはnoteに、暮らしの中にある小さな幸せや発見を、定期的に綴っています。
「リアル」な言葉の熱量に励まされて
まずはじめに、工藤さんの言葉に、私はとっても励まされました。
私たちが「ふたき草」として取り組んでいる、森のようちえんやキャンプ。
そこで大切にしたいと考えて日々実践していること。
それらと工藤さんの言葉が多く重なり、共感できる想いにたくさん出会うことができました。
やっぱり直接聞く言葉には、その人だからこそ生み出せる「熱量」があります。
実践されてきた話など、そこに至るまでの工藤さんのご経験や膨大なエラー&ラーンを想像しながら聞きました。
ハッキリと言い切るその姿を、直接感じることのできるありがたい時間でした。
印象的だったのは、世界のスケールで見た教育のお話です。
ずっと日本に暮らし、自分が受けてきた教育しか知らない私にとって、 「高校受験があるのはアジアだけで、欧米にはない」 「アメリカではどこで学ぶかは親が選ぶことが尊重される。自宅でも、教会でもいい」 というお話は、自分の視野を広げてくれ、知らないことの多さも痛感しました。
「受験」という当たり前への違和感
工藤さんのお話の中に、「欧米と日本の教育システムは大きく違う。受験が大きい。」という言葉がありました。
今は受験シーズン真っ只中。
つい昨日、たまたま流れてきたインスタグラムの動画で合格発表を待つ親子の姿を見たのですが、合格が分かった瞬間に息子さんが泣き、お母さんと抱き合っていました。
以前なら、ただ「おめでとう」と思って見ていたかもしれませんが、工藤さんのお話を聞いた後の私は、どこか複雑な感情を抱いて見てしまいました。
自分自身を振り返っても、「受験があるのが当たり前」という環境。
でも、受験って何のためにあるのかな?
本当にその教育システムは必要なのか?
ただ知るだけで、当たり前だと思っていたことが違って見えてくることがあります。
それは否定ではなく、新しい視点を持つという大切なプロセスだと思います。
「幼児教育」の大切さと、音のしない拍手
私たち夫婦は幼児期の「今」を大切にしたいという考えがあり、働き方を変え、自宅保育や自主保育を選んでいます。
だからこそ、工藤さんというあの立場の方があの場で、 「幼児教育が大切だ」 とハッキリ言ってくれたことが、たまらなく嬉しかった。
思わず顔の前で、小さく音のしない拍手をしてしまったほど。
大人が子どもを「なんとかできる」と思いすぎることを、私は問題だと感じています。
本当に変えるべきは子どもではなく、私たち大人ではないでしょうか。
小さな頃から一人の人間として尊重され、自分の意志で選び、それを受け止めてもらう。
そんな「自己決定」の経験を幼児期から積み重ねることで、子どもたちの生きる土台を育んでいきたいと改めて思います。
講演会を経て、私の中に起きた変化
この日をきっかけに、私の中に大きな変化が2つありました。
- 我が子同士の言い合いを、私の正解で解決しようとすることが減った
「子どもたちは、トラブルを解決するのが大人だと思っている」
工藤さんのこの言葉にハッとして、私はすぐに変えたことがあります。
それは、6歳と3歳の我が子たちが、言い合いをしたり、追いかけっこや取っ組み合いになったりしている時のこと。
これまでは「お母さん助けて〜!」と言われれば、私が見聞きした範囲で「弟が悪い」「お姉ちゃんが原因でしょ」と、私がジャッジをして解決しようとすることがありました。
もちろん、小さな子には大人が言葉を代弁してあげる場面も時には必要です。
でも、正直なところ……親がパッとまとめてしまった方が、楽だし早く終わりませんか?
一見、それで解決した「風」に見えませんか?
でも、それは結局、子どもたちが自分で解決したことにはならないんですよね。
頭では分かったつもりでいても、「我が子の、この日常の場面ではできていなかったなぁ」と気がつき、関わり方を変えてみました。
それぞれの言い分を聞いたあと、私が解決へ導こうとするのではなく、「お母さんにできることはある?」と子どもたちに聞いてみる。
「どっちにも、それぞれの気持ちがある」ということを、繰り返し、伝えています。
この試行錯誤は、私が「自宅保育」を選んだ原点とも重なります。
楽をしたいから選んだわけじゃない。
ここを急がず、大切に積み重ねたくて選んだのです。
一緒にいれば、衝突の頻度は当然増えます。
正直、楽じゃありません。
でも、そのぶつかり合いがあるからこそ、子どもたちの中に目には見えない大切にしたいものが積み重なっていくのだと信じています。
- 「当たり前」をさらに疑えるようになった
「園に通わないのはおかしい」「こうしなければ、将来困ることになる」 そんな視線や考えに触れる場面は、きっとこれからもたくさんあります。
超マイノリティな選択をしているので、色んな意見に触れる機会もあります。
(ちなみに、幼稚園や保育園は義務ではなく、自主保育という選択肢も存在します。)
でも、この価値観に限らず「選択肢はそれしかない」と思い込んでいる自分に疑問を持ち「自分の知らない世界があると知ること」が大切だと改めて思いました。
私自身、知らないことが沢山あります。
だからこそ気をつけたいのは、「自分の知っていることだけが正解」かのように、思い込んで振る舞ってしまうこと。
自分の経験したことや知る範囲の中でしか、想像することが難しいからです。
その背景には、自分の選択を肯定したい気持ちが隠れているような気もします。
工藤さんが「60年前にさかのぼれば教育も全然違う」とおっしゃっていたように、今の子どもたちが生きる60年後の未来は、今と同じではありません。
大人が自分の経験則だけで、子どもたちの未来を決めつけてしまうことには怖さを感じます。
学校に行かない選択をしている子どもたちには、学ぶ場所の多様な選択肢も必要だと思います。
ですが、それ以上に大切なのは、周りの大人が「人は、どこでだって学ぶことができる」という柔軟な思考を持っているかどうかではないでしょうか。
日々の暮らしの中には、自己決定や衝突の機会がたっぷりとあります。
学びの機会です。
その一つひとつを、親や先生がどれほど価値ある機会として捉えているか。
その姿勢こそが、日々の関わりに現れ、子どもたちの土台となっていくのだと信じています。
「自分で選んでいる姿を、大人が見せること。」
これは、誰かに頼らなくても、今この瞬間から自分で始められること。
他責思考の子どもがいるのは、他責思考の大人がいるからです。
なぜ、それを選んだのか。 それが世の中の多数の「正解」でなくても、 自分なりの理由と意志を持って、納得して選ぶ。
私自身、そんな風に生きていたいと強く思います。
最後に
子どもたちは学校での学びを、何のために使うのか。
私はそれを自分や誰かのための優しさや、これからの人生を自分で楽しく生きていくために使っていってもらいたいです。
夫の我が子へ関わる姿を見ていて思うんです。
「きっとお母さんにも、こう関わってもらっていたんだろうな」って。
人は与えてもらったものを、与えることができると思います。
工藤さんのお話に背中を押され、また今日も子どもたちと暮らしていこうと思います。
工藤勇一さん、講演会を企画してくださった皆さん、ありがとうございました。
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